顧客価値とモジュールの対応関係(『価値づくりの経営の論理』②)

受講者 2013年7月2日 posted尾田 基 顧客価値とモジュールの対応関係(『価値づくりの経営の論理』②) はコメントを受け付けていません

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昨日の続きです。『価値づくりの経営の論理』の本題である意味的価値の議論を振り返りたいと思います。顧客価値(経済学でいうところのwillingness to pay)を『価値づくりの経営の論理』では2通りの分解の仕方をしています。
顧客価値=意味的価値+機能的価値
顧客価値=主観的に意味づける価値+客観的に評価の定まっている価値

また,明示的に定式化していたわけではありませんが,次のような論旨もあったように思います。

顧客価値=要素に分解しづらい何かから感じる価値+要素に依存する価値の集計(=総体(ゲシュタルト)価値+要素価値)

意味的価値や主観的価値の論の詳細は『価値づくりの経営の論理』を読んでいただくとして,陥りがちな混乱で,授業でも確認されたポイントをふたつ指摘しておきましょう。

①ある製品の良さを具体的に意味的価値と機能的価値に分解しようとすることから生じる混乱
これは,意味的価値というのは実は機能的にも表現可能なことから生じるものです。たとえば,MacBookAirは開くとすぐにスリープから復旧して使える,という特徴を考えてみましょう。「すぐに使えるので思考が中断することがない,ストレスを感じない」などの意味的価値があるという表現は「開くまでの0.3秒以内にスリープから復帰する性能・機能を保持したPC」という機能的表現が可能であるといえます。ある特性を取り出して,意味的価値か,機能的価値かと分類しようとすると混乱してしまいがちです。

②主観的価値が重要,という主張は客観的価値は触らずに売り方やイメージで何とかする,という含意に結びつきやすい。
これも主観的価値と客観的価値を分解できる,という理解に起因しています。仮に簡単に分解できるような製品で主観的価値が付くなら,主観的価値をスペックに翻訳できたとたんに競合が多数参入し,超過利潤は消失するはずです。単に意匠やデザインを変えるだけではない。デザインを変えようとすると他の部分の修正が必要になり,全体が変わるときに,そのすりあわせの難しさが競合の参入を減らす・・・というロジックがある場合にやっと意味的価値や主観的価値が背後の技術との結びつきがある事例になるのでしょう。

さて,3つめの表現方法。顧客価値とは,何らかのモジュールの性能に還元できる価値と,それ以外の組み合わせから生じる総合的価値によって表現できる,というところを考えてみます。これは製品アーキテクチャ論をユーザーの視点から考え直したような考え方であるともいえるでしょう。ただし,製品設計がモジュールであるか,インテグラルであるかとは独立の概念です。例えば,iPhoneのようにクローズド・モジュラーだが意味的価値(要素分解難)の大きい製品を想定してみれば両概念が独立であることがわかるはずです。高度なすりあわせ型の製品でも顧客にとって無意味なこともあるし,要素技術だけなら模倣しやすそうなものが,思わぬ価値をもっていたりする。

延岡先生は『価値づくりの経営の論理』のpp.134-136で,意味的価値の創出にはすりあわせ型の製品開発が適している,と主張されています。同書はものづくり批判(自社偏重,技術偏重)ではあるかもしれないが,インテグラル(すりあわせ)批判では無い。日本企業のやっているすりあわせは,消費者にとって価値のあるすりあわせですか,という問いかけであるともいえるでしょう。

実務的にはその通りなのでしょうけれども,研究者としては,両変数にギャップが生じたとき,特にモジュラー型だけれども意味的価値の大きな製品に注目してみると,いくつか研究テーマがみつかるようにも思います。モジュール化とはそもそも,1つの製品を”機能毎に分解する”ことであり,本来,各モジュールが性能のスペックに対応するか,あるいはせいぜい,消費電力や外形の大きさのように,モジュール毎の値を集計することで何らかの性能になるはずです。ところが製品の成熟するにつれて,モジュールとの対応関係が複雑な価値がでてきたり,あるいはモジュール化の仕方を全く変えることで,別の価値を達成するタイプの製品がでてきたりするのです。前者の例としては,先ほども挙げたようなスリープからの復旧時間の短いPC,が挙げられるでしょう。OSとソフトとのインターフェイスや,メモリなど,幾つかの要素の混合から成立するタイプのスペックが重要になるケースです。後者の例としては,掃除機のように紙パック式からサイクロン式とか,自走ロボット型のように全然違うタイプのモジュールの組み合わせ方が生じるような場合です。このようなケースでは新たな評価軸が生じているものの,クリステンセンのイノベーションのジレンマとは論理の立て方がやや異なるように思われます。

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