法則定立的研究と個性記述的研究
講義がはじまって二ヶ月が経とうとしていますが,みなさんいかがお過ごしでしょうか。前のエントリーを書いたときに「次はサイエンスとアートの話でも書こうかな」と思っていたのですが,落としどころを悩んでいたらずいぶんと時間が経ってしまいました。僕がぐずぐずしている間に,先生方がそれぞれの表現でお話いただいたので,だいぶ受講生のみなさんにもなじみのある問題になってきたのではないでしょうか。
- 科学とアート,外的妥当性(方法論第1回,延岡先生)
- 「50%を説明した」をどう捉えるか,良い戦略の発見と,その戦略が知れ渡り反省・模倣による超過利潤の消失(各論第3回,軽部先生)
- 一般法則の追求としてのケース・スタディと,固有の現象を理解するための歴史研究(方法論第3回,清水先生)
この他,学問の名前の付け方でも,○○ scienceと呼ぶのか○○ studiesと呼ぶのか,方法論的な立場の違いが反映されていると考えられますし,専門用語を使えば,法則定立的(nomothetic)研究と個性記述的(idiographic)研究という区分法があります。以下ではこの種の方法論に関連して昨日の議論で出てきたトピックを2つ書き起こしてみました。
分析手法とその背後での方法論的前提
ある事例研究をすることで他の事例への応用を期待する場合,立場はいくつかあるように思います。なんらかの法則性があって法則を適用しようと考えるのか,理解が深まれば他の事例の理解にも一部役に立つ(必ず再現されるわけではない)と考えるのか。昨日は歴史的アプローチの授業だったので直接言及はありませんでしたが,これは大量サンプルの実証研究(たとえば,日本の全上場企業をサンプルとする研究)でも同じです。全部調べることで法則化を目指す人も居れば,広くパターンをとることでよりよい理解を目指す(再現性は考えない)人もいます。分析手法の採用方法と,背後でどのような方法論的前提にたっているのかは必ずしもなんらかの対応関係があるわけではないわけです。
個性記述的研究の重要性をどうアピールするか
事例固有の因果的連関を理解していくことを目標として研究して,外的妥当性を追求しないタイプの研究をするときに,その研究の重要性をどのようにアピールするのか,という問題についてアピールの方法にはいろいろあり,昨日は2通りの方法が確認されました。
- 代表的な事例である(よく知られた企業であり,皆がすでに関心をもっているとか,一般報道でも問題視されている)
- 検討しようとする因果的連関は,他の事例においても重要な問題である
ひとつめの方法は問題関心を外部に丸投げしているので容易いのですが,2つ目のアピール方法にはディレンマがあります。個々の現象は固有で再現性がないので,法則のように適用できるわけではないのだけれども,この事例で得られた理解とか物の見方は広くいろいろな事例を理解する際に助けになるはずだ,と研究者は考えている。しかし,自分は限られた事例しか綿密に検討していないので,検討していない他の事例を挙げて,その問題の一般性を主張することはできない(よく調べてみたら全然違っているかもしれない)。研究の中でできることは,事例の固有さ(限界点)を述べることぐらいで,あとは読者が広いコンテクストを自発的に読みとって,気付いてくれることを期待するしかない,というのはなんとも悩ましいなと思います。
授業中のディスカッションは限られた時間の中でどんどん論点がでてくるので,その場での理解が追いつかない部分もあるかもしれません。このクロストークは非公開での投稿(メンバーのみが閲覧可能)もできますので,あの話をもう一回考えたい,とかありましたら適当に投稿してくださいね(疑問を文字に起こしてみると頭が整理されるのでおすすめです)。